個性


 

ニュージーランドで成長する我が子を見ていると、
この国の教育は本当に個性を重要視していると感じます。

 

子供の得意分野をどんどんと伸ばすようなカリキュラムが多数存在します。
逆に、日本のトップダウン形式の教育システムはあまり存在しません。

 

日本ではありえない事ですが、
料理に興味を持っている生徒を集めて、校長先生が自宅で料理教室を開催したり、
発想力が豊かな子供たちを集めて、
LEGOブロックを使った特別なカリキュラムを作ったりします。

 

またある時は、絵を描くことが大好きな生徒達のために、
教室の外壁面に自由に絵を描かせたり、
音楽好きの子供たちのために、学校に楽団を呼んだりします。

 

そこには、大人の事情による偏ったルールではなく、
子供目線の子供のためのルールがあります。

 

日本教育は横並びで、人と同じようにしなさいと教育されます。
出る杭は打たれ、目立つことをすれば変わり者のレッテルを張られる。
勿論、私もそういった画一的な教育を受けてきた人間の一人です。

 

そんな教育方針を重要だと思う人もいれば、必要ないと思う人もいるでしょう。
そこに賛否両論あることに異議を唱えるつもりはありません。

 

しかし、海外で事業を行っている者として自分自身を振り返った時、
日本で受けた教育によって、弊害がもたらされたことが多々ありました。

 

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一卵性双生児を除けば、地球上の全人類の中で、誰一人として同じDNAは存在しません。
人は誰しもが、唯一無二の存在で生まれてくるわけですが、
日本の教育課程においてはどうもその”唯一無二“の状態が良くないとされます。

 

この矛盾と葛藤すればするほど、日本で教育を受けることの意味が分からなくなりますし、
費やした時間の無駄さ(もちろん全てにではありません)に憤りさえ感じます。

 

言うまでもなく、団体行動や協調性と言った規律を学ぶことは、大変に重要です。
しかし、そうした集団化の中で、子供たちの個性を埋もれさせるのは非常に勿体ない事です。

 

同じDNAが存在しないという宇宙の神秘から考えても、
誰とも違った自分だけの人生を歩む事こそ、人類に課せられた使命のように思います。

 

今後、日本が本当の意味でグローバルな国になる為には、
現在の教育を根底から見直す必要があるでしょうし、
個人の考え方としても、教育の場を世界に求める事は必要なのではないでしょうか。

 

 

 



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