恩送り


 

先日、会員ページのリアルタイムインフォメーションにも投稿しましたが、
ニュージーランドでとても驚いた、そして嬉しかった出来事があったので記事にします。

 

それは2月の上旬でした。
オークランド市内で会議があり、そのあとは深夜まで会食でしたので、
代行運転で自宅まで帰ることにしました。

 

運転手が運転する自分の車の助手席に乗り、
深夜のハイウェイを走りながら、雑談をしていました。
途中で運転手が「日本人か?」と聞くので、私は、はいと答えました。
彼は、数年前に北海道に1か月間旅行をした時の話を、興奮気味に話してくれました。

 

北海道の景色がNZと同じで如何に素晴らしいか、とか、
自然を大事にする気持ちがNZと同じだ、とか、
本当に北海道の旅行が楽しかったんだなぁと、私まで嬉しくなりました。

 

丁度その時、もう一台の車(運転手を連れて帰る車)が、我々の車を見失い、
運転手に電話が掛かってきました。
幸い、さほど遠くに離れていませんでしたので、車を止めてしばらく待つ事にしました。

 

彼は北海道旅行の話をまだ続けたかったようですが、
何かを思い出したように少し沈黙し、突然私にこう言いました。

 

100ドルを君に渡したい

 

私は何が何だかよくわからずに、え?何?何?と繰り返しましたが、
彼はおかまいなしに、シリアスな表情で話しを始めました。

 

北海道旅行の時、あの男性がいなかったら私は日本を嫌いになっていたかもしれない。
ある時、荷物が盗まれてしまって、無一文になった私は途方に暮れていた。
日本語も話せないし、英語が通じる人もいない。
警察も近くにないし、お金もないので乗り物にも乗れない。
自分が本当に世界から取り残された気がしたよ。

 

私は、そんな思い出話と100ドルを渡す話に何の関係があるんだ?と思いましたが、
彼の話は続きます。

 

”どうしていいか分からなくて、とにかく歩いた。
そしたらバス停があって、そこに座ったんだ。暫くしてバスが来た。
訳も分からずバスに乗ってね、そしてお金がないのにシートに座ったんだ。
だって、そうすること以外できることは無かったから。
バスは小さな町に到着した。私はこの町なら警察があると思って、
バスの運転手にお金がないことを必死で伝えたよ。
でも英語が通じないし、お金の払い方が分からないのだと勘違いをされて、
残念なことに話は一向に進まなかったんだ。
その時だった。ある男性が私のそばに来たんだ。
その男性は英語を全く話せなかったけど、私の話を一生懸命聞いてくれただんだ。
そして、事情は理解した彼はなんと、僕に100ドルをくれたんだ。
(※おそらく男性が渡したのは1万円だったと思うが、彼は100ドルと言っていた)”

 

彼の顔を見ると、その目からは涙があふれていました。
心はすでにこの場所になく、北海道旅行をしたその日に戻っていました。
私は、いい年の大人が泣くのは滑稽だと思う反面、
人前でそんな風に泣ける彼に、猛烈に嫉妬しました。

 

だから僕は君に100ドルを渡す。
本当は困った人に渡すことを考えていたんだけど、
このニュージーランドで日本人にこの話ができたのは何かの縁だろう。
受け取ってほしい、そして君がまた誰かの為にそれを使ってくれ。

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私は、pay it forwardだね。と彼に言いました。彼も、そうだと答えました。

 

代行運転をしている彼には100ドルはとても高額でしょう。
特に、NZは物価が上昇していますので尚更です。

 

我々は豊かな国に生まれ、なんら不自由ない生活をしています。
しかし、国が豊かになればなるほど、人と人の心は乖離し、
良心やモラルを忘れ、限りなく利己的に生きています。

 

人は一人では生きていけないのだから、助け合う事が重要。
そんな事誰もが知っています。でも簡単には出来ない。
飽食にまみれた先進国は、豊かさと引き換えに、
こうした「目に見えない最も大切な何か」を失っているのかもしれません。

 

最後に、私は彼に「また北海道に行きたい?」と尋ねました。
彼は「もちろん」と答え、続けてこう言いました。
「次は僕から親切をスタートする」と。
誰かに受けた恩を他の誰かに渡すのではなく、自分がそのスタートとして恩を渡すのだと

 

何気ない一日の終わりに、こんな出会いがあるとは思いもしませんでしたが、
お金よりも大事なものが何か、考えさせられました。
そして、どうせ流す涙なら彼と同じ美しい涙を流したい、そう感じた出来事でした。

 

 

 



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